蘭亭の会 於清澄庭園 涼亭

令和4年 旧暦3月3日(上巳の節句)
清澄庭園 涼亭にて【蘭亭の会】を開催いたしました。


王羲之 蘭亭序


参加者は蘭亭序を臨書。たまに縁側で休憩がてらお茶を。


お菓子は、神楽坂 梅花亭 特製「蘭亭曲水宴」
お店のご亭主が書画を一筆を添えてくださるのが嬉しい。
藤袴の香りとともに。


禊の雨となりました。庭園の雨が心地よい。

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蘭亭とは、紹興にある庭園で、
永和9年(353年)3月3日、王羲之に招かれた41名が
この地で集まり「曲水の宴」を開いた場所です。
ここで詠まれた37首の詩の序文として、
王羲之が著した書が「蘭亭序」。

曲水の宴は、中国では「佩兰祓禊、曲水流觞」と呼ばれ、
佩兰(佩蘭)を使った禊の儀式として行わた。
そしてこの儀式で使われる佩蘭が藤袴とされています。

願いと祈りを込めて、参加者が蘭亭序を臨書しました。

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■蘭亭序 意訳

353(永和九)年、干支は癸丑にあたる。
この春の暮の初め、会稽山陰の蘭亭にて行事を行った。
禊を行うためである。

名士の方々、老いも若きも、皆集まった。
この地は高い山に険しい峰、茂った林や長い竹があり、
また清流の早瀬もあり左右に照り映えている。

この水を引いて、杯を流す曲水を造り、各々が順に座った。
笛や琴の管弦の賑やかさは無いが、酒を交わし詩を詠むことは、
これまた奥深い心情を伸びやかに表すに最高である。
この日は、天朗らかで気は清く、恵みの風が和らいで吹いている。
天を仰いでは宇宙の大なるを観、俯しては万物の盛んな様を察する。
景観、目に良く、思いを馳せるというのは、視聴の娯しみの極みである。
人生は楽しむに越したことはない。

そもそもこの世で人々がお互いに生きていくものとはいえ、
ある人は、心に多くを抱いて、室内で議論し合い、
ある人は、好むところに従って、形式にとらわれずに振る舞う。
生き方は様々であり、静と動は同じではないが、
それぞれの信ずるところに従い、
暫時、己の精神が幸福で充足できるうちは満足感に浸り、
老いが忍び寄っているのにも気づかない。

ところが、今まで意に叶ってきた事、既に倦怠感が生まれ、
情は、別の事に従うようになると、
感慨はその他の事に係わるようになる。
過去の栄光は、あっという間にもう過去のものとなってしまっているのだが、
それでもなお、まだ感慨を興さないわけではない。
ましてや、人の命に長短あっても、道理に従い、
終には尽きてしまうのだから、なおさらである。

古人は、生きることと死ぬこと、共に重要だと言った。
これは、なんとも痛ましいこと。
昔の人々が生きて感動してきた事を見るたびに、
常にだれもが、自分もそうだそうだと思う。

詩文を読んでいると歎き悼ましく、真から納得することができない。
もとより、生死が同列だと考えるのは無知なこと。
とはいえ、後世の人たちがまるで今の私が過去の人を
悲しく思う感情と同じだと思うと、
生きるとはなんと空虚なものだ。

ゆえに、ここに集まった人たちを列記し、その述べる所を記録しておこう。
時代が遷り変わり、物事が変化しても、感慨を興す所以は同じなのだから。
後の世の人々も、また、この文に感じ入ることであろう。

 

写真
萩谷潤 ( Jun Hagiya )
アスレプラス合同会社HP:
https://www.ashreplus.com/